おいしいけれど「後のこと」を考えれば食べづらい料理がある。それはカロリーであったり、口臭を気にするからであったりするけれど、時にそれらのデメリットを押さえ―それは周期的にやってくるが―無性に食べたくなって意識を占領する悪魔的な一品がある。僕が北京で出会ったのは、羊串肉だ。
日本では羊を食べる機会はあまりない。せいぜい洋風レストランのラム・ステーキか、もしくはフランクフルトソーセージに使われるマトンくらい。北海道に行けばジンギスカン鍋があるけれど、あれらは時々食べるからおいしいんだと勝手に思っている。とにかく、日本を基準とした食生活においてなじみのある食材ではない。だから羊肉の美味に大抵の日本人はノーマークだし、僕もそうだった。
羊肉串、もとは遊牧民が持ち込んだ食べ物だと思われる。形状は焼き鳥に羊肉がとって代わったと想像してもらえればいい。肉も脂身も一緒にした小振りの肉塊が露店の炭火の上でジュウジュウと焼き上がり、味付けにはチリペッパーやクミンや様々な香辛料がミックスされたものがたっぷりと振り掛けられる。この香辛料が羊独特の臭みとも取れる香りと混ざりあって野性的に鼻腔へと抜け、舌の上では脂の旨味とスパイスが一体となる。値段はだいたい一本が3元くらい。そして忘れてはいけないのがビール。「燕京」、「青島」といった日本のものに比べ少し度数の低い中国ビールが実によく合う。向こうの人はビールを常温で飲む習慣があるから、注文の際は「冷えたやつ」と念押しすることを忘れてはいけない。最後に雰囲気。夏に城市を歩けばそこここに電球をつなげて「串」と表示させた出店が目につき、店先からやってくる煙を嗅げば、胃がキュウキュウと騒ぎ出す。露天のテーブルは大抵客でいっぱいで、みんなよく食べてよく飲んで大きな声で会話している。地面はビール瓶の王冠や枝豆の皮が散らかっていたりするが、その開けっぴろげな感じは慣れてさえしまえば気取る必要の無さに感慨すら覚えることになる。
一言述べておくなら羊肉串ほど「後のこと」を考えれば手を伸ばすべきでない食品はない。まず衣服に臭いが移る。汗と煙にまかれた服はひどい臭いがする。同時に体臭も濃くなる。二日目の枕カバーはいつも獣臭かった。しかし、ふと気がつくと食べたくなる。香辛料の香りが人知れず鼻腔にフラッシュバックするようになれば、もうビールに喉を鳴らし串にがっつく自分を想像している。
このような羊肉串であるが、どうも上からの風当たりが厳しいらしい。どこの電視台のニュースだったか忘れてしまったが、PM2.5をはじめとする空気汚染の原因がこの屋台の炉から出る排気のせいだと放送されていた。レポーターが測定器を炉の煙に突っ込み「ほらこんなに数値が高い」と示し、城市管理警察が小さな屋台を取り締まる映像が映っていた。僕がたまに行っていた、おやじさん一人が道端で小さなコンロ一つで細々と串を焼いていた店があったが、もし奴らが来たら隣の店の鍋料理を食べていると言ってくれと、いつも城管にビクついていたように思う。(実際に城管の車が通りかかったときにはコンロを持ってどこかに行ってしまった。)。
中途半端な店舗で羊肉串を提供する店には衛生的な問題もあるのだろうし、近代化の流れの中で露店のようなスタイルは隅に追いやられていくのだろう。もちろんイスラム系料理を扱う「清真」の店に行けばいつでも羊肉串を含めた羊肉料理は食べられる。けれどあの独特の空気を醸し出す場がなくなってしまうとすれば、それはとても残念に思う。
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