第35回 日本語の中の中国語その16――呉越同舟

 「呉越同舟」というと、「仲の悪い者同士が同じ場所にいること。また、行動を共にすること。」(『大辞林』)を指します。この言葉は兵法書として有名な『孫子』に由来しています。以下、『孫子』を少し読んでみましょう。該当部分は問答形式で展開されていきます。 
「用兵が巧みな者は、「率然」のようなものである。率然とは常山に住む蛇で、その頭を打つと尻尾が助けに来て、その尾を打つと頭が来る。中程を打つと頭と尾の両方が助ける。」これに、そんなことが可能かという質問が出ると、孫子は以下のように答えています。

可,夫吴人与越人相恶也,当其同舟而济遇风,其相救也,如左右手。是故方马埋轮,未足恃也。齐勇若一,政之道也。刚柔皆得,地之理也。故善用兵者,携手若使一人。不得已也。
できる。呉の人と越の人は互いに憎み合っている。だが、同じ船に乗って川を渡っていて強風に遇えば、互いに助け合う。それはあたかも右左の手(が互いに助け合うか)のようである。それ故、馬を繋ぎ車輪を地面に埋めて(守りを固めても)まだ十分頼りにはならないのである。(勇敢な者と臆病な者)共に勇気を振るわせるのは、軍制の運用である。強い者も弱い者も等しく働かせるのは、地勢の道理である。それゆえ、用兵に巧みな者は、(兵たちに)手を取りあうように助け合わせて、まるで一人の人間に命令しているかのようであるが、それは互いに助け合わざるを得ないからである。

ここまで読むと、味方の兵を互いに協力させることが用兵の要という、孫子の主張が分かります。春秋戦国時代には、孫子の他にも諸子百家と言われる様々な思想家が現れました。彼らは自説を相手に理解してもらえるように、このような寓話を用いて説明しました。そして、呉越同舟の故事は、孫子が自分の考えを説くための寓話だったのです。
 さて、この故事を踏まえ、「呉越同舟」は仲の悪い者同士が同席することを表すようになりました。ところで、現代中国語には、同じ故事に由来した「同舟共济」という言葉があります(「吴越同舟」も使いますが、同舟共济の方が多い)。ですが、その働きを見てみると、なんと「仲の悪い者同士が協力し合って難局を乗り越える」という意味なのです。
ここで、『日本語国語大辞典』の「呉越同舟」項を見てみると「仲の悪い者同士、また、敵味方が、同じ場所にい合わせるころ。また反目し合いながらも共通の困難や利害に対して協力し合うことのたとえ。」とあります。つまり、日本語にも「協力し合って難局を乗り越える」意味があったのです。ただ、多くの辞書で「仲の悪い者同士が同行する」意味だけを載せる以上、こちらの用法の大部分を占めるのでしょう。それにしても、どうして「同行する」意味だけが使われるようになったのでしょうか。はっきりとは分かりませんが、「呉越同舟」という言葉は、字面だけ見れば、仲の悪い呉と越の人が同じ舟にいると書いているだけで、しかも、この語は「同行する」だけの意味まで持っています。このため、文字通りの「同行する」の印象が強く残り、「協力して難局を乗り越える」という意味が含まれていたとしても、記憶に残りにくかったのでしょう。一方、中国語「同舟共济」は文字を見れば意味が一目瞭然なので、語彙と意味が強く結びつき、意味が『孫子』の寓話の内容から離れなかったのではないでしょうか。

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西川芳樹関西大学非常勤講師

投稿者プロフィール

大阪府岸和田市出身。
関西大学文学研究科総合人文学専攻中国文学専修博士課程後期課程所定単位修得退学。
関西大学非常勤講師。
中国古典文学が専門。

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