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第34回 元首たちの古典教養その18――世上无难事,只要肯登攀
- 2017/11/6
- 現代に生きる中国古典, 西川芳樹
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古典というと近代以前に記された書物と思いがちですが、決してそうとは限りません。近代中国成立以後の人物が書いた詩文であっても、広く中国人に知られ、時代を超える普遍的価値を持つものであれば、それは新たな古典になります。元首たちが引用する古典は、近代以前のものが多いのですが、魯迅、陳独秀、厳復、李大釗、艾青など近代の文筆家たちの言葉も少なくありません。では、近代以降の人物で最も多く引かれるのは誰かと問われると、それは建国の父毛沢東でしょう。毛沢東の言葉というと『毛沢東語録』が思い出されますが、引用されるのは『語録』の言葉よりも、詩、詞が多いように感じます。毛沢東は詩人として優れ、革命家らしい豪放な詩、詞を数多く残しています。
では、実際に毛沢東の詞が引かれた例を見てみましょう。2006年、当時首相であった温家宝はケープタウンで演説をしました。そして、アフリカ諸国と中国とのこれまでの関わりをふり返り、各方面の交流をますます盛んにしていこうと訴え、その後、両国の商業会の人々を激励して以下のように言いました。
温家宝が引用した「世上无难事,只要肯登攀」は、毛沢東の詞「水調歌頭 重上井岡山」に由来しています。この詞は坂本龍一さんの代表曲「千本のナイフ」で使われたことでも知られています。かなり長い詞ですが読んでみましょう。
大躍進の失敗により失脚した毛沢東は、かつて革命闘争をした井崗山をたずね、この詞を詠みました。そして、過去の革命の地でこれまでの戦いをふり返っています。「世上无难事,只要肯登攀」は、世の中に乗り越えられない困難はない、辛い革命闘争も前に進み続ければなし得るのだという意味でしょう。もっとも、この直後に毛沢東は文化大革命を起こして復権を企てるので、権力闘争もなせばなるという意味で詠んでいるようにも見えますが……。不在話下。
毛沢東は、非常な読書家で、政務の合間を縫っては本を読み、古今の書物に精通していました。そして、古典の言葉にアレンジを加えて新たな言葉を作り出すことを得意としていました。「世上无难事,只要肯登攀」も「世上无难事,只怕有人心(世の中に難しいことはない、志さえあればいいのだ)」という古い俗語に手を加えたものだったのです。
毛沢東の言う「世上无难事,只要肯登攀」は革命闘争への気構えを詠んだものでしたが、今では「世のなかにやってできないことはない」、「なせばなる」という意味で使われています。温家宝は「世上无难事,只要肯登攀」をアフリカ諸国と中国の交流に何か障害があったとしても、前進しようとさえすれば、乗り越えられないことはない、という思いをこの言葉にこめたのでしょう。
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