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第33回 日本語の中の中国語その15――圧巻
- 2017/9/18
- 現代に生きる中国古典, 西川芳樹
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筆者が中国語を教わったある先生は、毎回の授業で必ず小テストを行いました。翌週の授業で採点した答案を返してくれるのですが、この時に、満点が一番上に来るよう点数の良い順に答案を並び替え、点数の高い人から順に返却するのでした。学生だった筆者は、この返却方法は「圧巻」の故事を踏まえているのではなかろうか、と考えていました。
中国では以前、科挙と呼ばれる官僚採用試験が行われていました。そして、試験の採点が終わると答案を積み上げ、最も優れた答案をその上に置きました。この巻(答案)を圧するところから「圧巻」という言葉が生まれたそうです。こうして生まれた「圧巻」という言葉は、詩文絵画などの中の最も優れている作品を意味します。
この言葉が生まれた時期は、はっきりと分かりません。筆者の目の及ぶ範囲では、南宋の陳振孫が編んだ『直斎書録解題』の中で、詩文の評価として使われているのが最も古い用例です。この言葉は室町時代には日本に伝わっていたようで、『日本国語大辞典』に1500年頃書かれた『両足院本山谷抄』の用例が挙がっています。ただ、これは早い時期の用例ではありますが、中国語の直訳に近く、これだけでは日本語の中で「圧巻」が広く使われていたかは分かりません。この言葉が広く使われるようになったのは、もう少し時代がくだり明治の後半に入ってからではないかと思います。
中国語由来の言葉が日本語の中で使わると、中国語にはない新たな意味が生まれる場合があることは、これまでも何度か取り上げてきました。「圧巻」も日本語の中で独自の進化を遂げつつある言葉のようです。日本語の「圧巻」は、中国語と同じく詩文絵画の最も優れた作品を意味します。しかし、ここで国語辞典を見てみると、辞書によって説明が少し異なります。
まず、『岩波国語辞典』には「書物・催し物などの中で最も優れた部分」とあります。意味の採録に慎重な『岩波』だけあって、原義に近い説明をしています。次に、丁寧な解説で評価の高い『明鏡国語辞典』を見ると「書物・劇・楽曲などの中で、最も優れている部分。また、勢揃いしたものの中で最も優れているもの。出色。」とあり、『岩波』とほぼ同じ説明がされています。ただ『明鏡』では、この後ろに注意書きが続き、「(1)「圧観」は誤り。(2)近年「圧巻する」とも言うが、別の語と混同したもので誤り。「×見る者を圧巻する迫力(○圧倒する)」「×新商品が市場を圧巻する(○席巻する)」」と誤用について解説が付いています。
一方で、新しく現れた意味を積極的に採録する『三省堂国語辞典』では「①いちばんの見もの・聞きもの(の部分)。②〔俗〕思わず圧倒される見もの、聞きもの」とあり、〔俗〕と断ってはいるものの、「圧倒する」を意味の一つとして取っています。
なるほど、そう言われてみれば、新聞などでも「圧巻の投球」、「圧巻の絶景」などの言葉を目にします。こうなると、使う範囲を詩文などに限定するのは難しいかもしれません。「圧巻の絶景」は「絶景に圧倒される」意味でしょうから、「圧倒」の意味も含むようになってきているようにも思えます。ただ、『三省堂』でも「もの」と書いてあるので名詞としての使い方だけを認めているようです。『明鏡』の言うように動詞「圧巻する」はまだ少数のようですが、近い将来、動詞で使われて「圧倒する」と混用される日が来るかもしれません。
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