上海の豫園商城は、食べ物屋、骨董屋、各種のお土産屋さんが軒を連ね、上海観光を語る上で外せない場所です。豫園商城は、上海城隍庙の門前市から始まりましたが、次第に商業地区が拡大してゆき、いまやその面積は城隍庙の数倍にまで広がっています。一方で城隍庙は、注意しないとどこにあるかわからない程で、豫園商城に観光に行ったことがある人でも、気が付かなった方がいるほどです。この豫園商城の活況を見れば、日本語の「門前市を成す」という言葉が「その家を訪問する人がきわめて多いことのたとえ」(『明鏡国語辞典』)になるのも、なるほどうまく言うものだと思います。
この「門前市を成す」は、日本各地に門前、もしくは門前市という地名が残っているためでしょうか、日本でできた言葉かと思ってしまいますが、『漢書』に見える鄭嵩という人物のエピソードに由来しています。
鄭嵩は前漢末期の人物で、哀帝という皇帝に仕えていました。鄭嵩は皇帝によく諫言をし、当初、哀帝も鄭嵩を信頼してその言葉をよく聞きました。ある時、太后(皇帝の祖母)が哀帝に太后の一族の者を封侯するよう求めます。鄭嵩はこれに反対しますが、太后は怒り、哀帝も幼く身寄りのなかった自分を育ててくれた太后への情義から、鄭嵩の意見を退けます。しかし、鄭嵩はそれでも諫言を止めず、今度は哀帝の寵臣について諫言し、この寵臣の反発を買い、ついに哀帝も鄭嵩を罰するようになります。鄭嵩は病にかかり、引退しようとします。そこへ、鄭嵩を恨む人物が哀帝に讒言すると、哀帝は鄭嵩を責めて次のように言いました。
鄭嵩は答えます。
これに、哀帝は怒り、鄭嵩を獄に下して厳しく取り調べ、鄭嵩は獄死します。
鄭嵩は純粋に国を思って諫言していたのかもしれませんが、正論を語るだけでは、権謀渦巻く政治の世界を渡っていけなかったのでしょう。この話は、今から2000年も前の出来事であるにもかかわらず、現在社会でも起こりそうなことです。文明がどれほど進んでも、人間のすることはあまり変わらないのかも知れません。
さて、鄭嵩の「臣門如市,臣心如水」という言葉は、後世の著名な詩人や文筆家がその詩文で引くようになり、そのためか、現代でも「臣門如市」が「門前市を成す」の意味で使われています。中国ではさらに「臣心如水」も使われます。こちらは、本来は今回紹介した故事のように「清廉な気持ちで奉公する」が原義でしたが、転じて「心穏やかでとらわれるところがない」という意味でも使われます。
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