第27回 日本語の中の中国語その12――贔屓|現代に生きる中国古典

 このコーナーではいつも、ことわざを中心に、中国の古典に由来する言葉を紹介していますが、今回はことわざではなく、「贔屓」という語彙を取り上げ、その古典の言葉から現代日本語への変遷について紹介したいと思います。
 「贔屓」は、『大辞林』によると「気に入った人に特に目をかけ世話をすること。気に入ったものを特にかわいがること。」という意味です。
漢語の「贔屓」は、特定の故事を持つ言葉ではありませんが、各時代の文言文で使われています。ここでは漢の張衡の「西京賦」を例に挙げましょう。張衡は漢代に活躍した科学者で、渾天儀という天球儀、水時計や地震観測機などを発明しました。張衡は、科学者であると同時に優れた文学者でもあり、賦の傑作を数多く残しました。「西京賦」は張衡の代表作の一つで、前漢の都が置かれた長安を詠んだ賦です。長い作品なので「贔屓」の言葉が見える部分のみを以下に挙げます。

  汉氏初都,在渭之涘,秦里其朔,寔为咸阳。左有崤函重险、桃林之塞,缀以二华,巨灵赑屃,高掌远跖,以流河曲,厥迹犹存。
  漢王朝は初め都を置いたのは、渭水の側であった。秦(の都)はその北側に位置した、咸陽である。長安の東には崤山、函谷関という要害の地が重なり、桃林の要塞があり、さらに太華山、少華山が連なる。それは、河神の巨霊が力を込めて、高く腕を突き上げ、遠くまで足を踏み込み、(もともと一つであった山を二つに割り、山にあたって)曲がりくねっていた河の流れを真っ直ぐにした。その手足の跡はいまでも残っている。

「贔屓(bì xì)」は、「i」の母音を持つ漢字が二つ重なる畳韻の言葉で、「西京賦」では「力をこめる」様子を表す言葉として使われています。ここで、『漢語大詞典』を引いてみると、「贔屓」の項目には八種類もの意味が載せられていますが、日本語の「気に入ったものに目をかける」に相当する語釈は見当たりません。どうやら中国語ではこのような意味で使われたことがないようです。ではどうして、同じ漢字を使う言葉でありながら中国語と日本語で意味の違いが生じたのでしょうか。
この問題を考えるために、「贔屓」の日本語での使い方を見てみましょう。『日本国語大辞典』によると、日本でも以前は「力を入れる」意味で使われていたようです。平安時代末期に書かれた『色葉字類抄』や14世紀後半に成立した『太平記』が例としてあげられています。その後、室町時代には「特に目をかけ世話をする」意味で使われ始めるようです。次に、『新漢語林』を見ると、「力を込める」意味での「贔屓」の音は「ヒキ」となっています。さらに『日本国語大辞典』の「引(ひき)」の項目には「特別に目をかけて便宜をはかること」とあります。おそらくは、本来の「力を入れる」という意味の漢語「贔屓(ひき)」が特定の方向に力を入れる意味にとられ、「特別に目をかける」という同音の日本語「ひき」と混用された結果、「贔屓」にあらたな意味が生まれたと思われます。そして、時代の変遷と供に「ヒキ」から「ヒイキ」へと音が変わっていったのでしょう。

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西川芳樹関西大学非常勤講師

投稿者プロフィール

大阪府岸和田市出身。
関西大学文学研究科総合人文学専攻中国文学専修博士課程後期課程所定単位修得退学。
関西大学非常勤講師。
中国古典文学が専門。

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