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第25回 日本語の中の中国語その11――災いを転じて福となす|現代に生きる中国古典
- 2016/12/21
- 現代に生きる中国古典, 西川芳樹
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「災い転じて福と為す」は、「身に降りかかった災難をうまく活用して、かえってしあわせになるよう取りはからう。」(『広辞苑』)という意味ですが、雑誌の中で「不幸なことの後に幸運な出来事が起きる」という意味で使われているのを目にしました。気になったのでGoogleで検索してみると「不幸から幸へと転じた」意味で使っている例がかなり見つかり、「災い転じて福となる」と「為す」が「なる」へと置き換わった例までヒットしました。「なる」という自動詞から、「不幸から幸へと転じた」意味で使われていることは明らかです。
「災いを転じて福となす(转祸而为福)」という言葉は、『戦国策』、『史記』、『説苑』などの漢代に編纂された文献中に早くも見えます。語源の特定は難しいですが、少なくとも漢代には広く使われていた言葉だと考えられます。ここでは、『戦国策』に記された蘇秦の説得術と共にこの言葉を紹介しましょう。
戦国時代、燕国王である易王は秦国王の娘を妻としていました。その燕が支配する十の城を、隣国の斉が攻め取ったのです。蘇秦は燕のたに斉王の説得に向かい、斉王に説いて言いました「燕と強国の秦は血縁関係にあります。燕の城を奪ったことで、秦の恨みを買っては、自殺行為です」。斉王が「ならば、どうすればよい」とたずねると、蘇秦は答えます。
説得を受け、斉王は燕に十の城を返還しました。蘇秦は見事に任務をまっとうしたのです。
話は戻りますが、「災い転じて『なる』」の使い方が気になったので、学生にどういう意味か、そしてどういう時に使うかとたずねました。圧倒的に数が多かった答えは「聞いたことはあるけど使わない」でした。身近に使わなくなったために、言葉や意味がうろ覚えになり、更にその結果、「不幸から幸へと転じた」使い方、「なる」という言葉が現れたのでしょう。
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