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第13回 日本語の中の中国語その6―口は災いのもと―|現代に生きる中国古典
- 2015/10/16
- 現代に生きる中国古典, 西川芳樹
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インターネットを見ていると、連日のように失言に関する話題を目にします。失言は恐ろしいもので、たった一言の余計な言葉のために社会的地位を失った人もいました。まさに「口は災いのもと」です。「口は災いのもと」は、「口は禍の門」ともいい、『大辞林』によると「うっかり言った言葉が思いがけない禍を招くことがある。不用意にものを言ってはならない。」と説明されています。
宋代の人である莊季裕は、『鶏肋編』に「谚谓病从口入,祸从口出(諺にいう「病は口から入り、禍は口より出る」)」と記していて、「口は災いのもと」と同様の表現が、宋代には諺として使われていたことが分かります。実際に、『艾子雑説』、『太平御覧』など宋代の書物には、似た表現が載せられています。日本にも鎌倉時代には伝わっていたようです。
さて、この言葉に類する表現は、いくつかの元になる話があるのですが、ここでは馮道の「舌」詩を紹介したいと思います。馮道は、五代といわれる唐と宋の間の戦乱期に活躍した政治家です。五代は、短命な軍事政権が多く、ほんの10年もすれば一つの王朝が滅びるという状況でした。このような混乱の時代にあって、馮道は、五つの王朝、八つの姓、十一人の主君に仕えるという数奇な人生を歩みます。そして、軍人皇帝たちを諫め、戦火に苦しむ民を救ったのでした。複数の王朝に仕えた馮道を不忠者とする見方もありますが、馮道は、忠義という倫理上の問題よりも、むしろ軍人皇帝をコントロールして民草を救済するという現実問題の解決を人生の目標に選んだのでしょう。
馮道は、文筆家でもありました。彼の書いた作品の中に「舌」という題の詩があります。
「舌は身を切る刀」とは、言い得て妙で、余計な一言がもたらす怖ろしい結末を示しています。馮道も皇帝に諫言したため、その逆鱗に触れ、地位を追われたこともありました。この詩は、馮道が多くの皇帝に仕えた中から体得した身を守る処世術といえるでしょう。事実、『新五代史』には「馮道は、これまで九人の主に仕え、面と向かっていさめたことがなかった」と記されています。ただ、何も言わなかったのではなく、自分の思う方向へ導くような言葉を選んで進言しています。例えば、皇帝より民の救済について下問されると「いま民を救えるのは仏ではなく皇帝です」と応じ、宝を手に入れて喜ぶ皇帝には、馮道は「王者には形にならない宝があります」といい、皇帝が何かとたずねると、「仁義だ」と答えています。武人をなんとか導こうとする馮道の苦心の跡が見て取れます。
「舌」詩は、馮道亡き後も人々に受け継がれ、『水滸伝』や『三国志演義』など後世の通俗文学の中で散見されます。現代中国語でも「闭口藏舌」、「闭口无言」という成語になっています。このことは裏を返せば、思わず口をついて出た余計な一言に身を切られた人がどれほど多いかを示してもいるでしょう。
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