第7回 日本語の中の中国古典その3―満を持す―|現代に生きる中国古典

 先日、野球のイチロー選手がマーリンズへ移籍後、初めて試合に出場したというニュースを読んだ。イチロー選手は、控え選手として試合開始を迎えたが、8回に代打で出場を果たした。イチロー選手の登場を待ち望んでいた現地のファンは、「満を持して」の登場に、スタンディングオベーションで迎えたとのことだ。

 この「満を持す」という言葉は、『大辞泉』によると「弓を十分に引いて構える。転じて、準備を十分にして機会を待つ。」という意味である。『史記』絳侯周勃世家には次のようにある。

军士吏被甲,锐兵刃,彀弓弩持满。
兵卒や軍吏は鎧を着て、武器を研ぎ、弓や弩を十分に引き絞っていた。

 ここでは、弓を目一杯まで引き絞ることを「持满」と記している。弓を十分に引き絞り臨戦態勢にあることから、戦闘準備が整っている、さらには、準備が十分の意味へと派生していったのだ。
 ところで、「持满」にはもう一つの意味がある。少し長くなるが、『荀子』宥坐篇の一文を紹介する。

 孔子は魯の桓公の霊廟を拝観すると、傾いた器があった。孔子が廟の守りをしている者に「これは何という器か」と尋ねたところ、廟の守りは「これは「宥坐之器」というものでしょう」と答えた。孔子は「私が聞くところによると、宥坐之器は、空の時は傾き、半分まで水が入るとまっすぐになり、満杯になれば覆るらしい」と言い、振り返って弟子に向かい「試しに水を注いでみなさい」と言った。弟子が水を汲んで注ぐと、器は、半分のところでまっすぐになり、満杯になると覆り、空になると傾いた。孔子は嘆息して言った「ああ、どうして満杯になって、覆らないものがあるだろうか」。弟子の子路が「あえてお尋ねしますが、満ちた状態を保つ(原文「持满」)方法はあるのでしょうか」。孔子は答えた「聡明な優れた智があれば、これを守るために愚鈍を装い、天下を覆うほどの功績があるならば、これを守るのに謙譲の精神をもってし、世界を覆うほどの勇気があれば、これを守るために臆病であり、莫大な富があれば、これを守るため人に譲るようにする。これこそが控えめの道である。」

 孔子や子路のいう満ちた状態とは、成功して絶頂の状態にあることを指し、孔子はこれを維持するためには、控えめであれと説く。「持满」には「成功した状態を保つ」という意味があることが分かる。なお、「满」は「盈」と同義であり、「持盈」ともいう。

 中国語では、「持满」は「成功した状態を保つ」の意味で使われることも多い。「持满戒盈(高位にあっても驕らぬよう自戒する)」、「持盈保泰(全盛の状態を保つ)」の成語とあわせて覚えておきたい。

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西川芳樹関西大学非常勤講師

投稿者プロフィール

大阪府岸和田市出身。
関西大学文学研究科総合人文学専攻中国文学専修博士課程後期課程所定単位修得退学。
関西大学非常勤講師。
中国古典文学が専門。

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