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第7回 日本語の中の中国古典その3―満を持す―|現代に生きる中国古典
- 2015/4/12
- 現代に生きる中国古典, 西川芳樹
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先日、野球のイチロー選手がマーリンズへ移籍後、初めて試合に出場したというニュースを読んだ。イチロー選手は、控え選手として試合開始を迎えたが、8回に代打で出場を果たした。イチロー選手の登場を待ち望んでいた現地のファンは、「満を持して」の登場に、スタンディングオベーションで迎えたとのことだ。
この「満を持す」という言葉は、『大辞泉』によると「弓を十分に引いて構える。転じて、準備を十分にして機会を待つ。」という意味である。『史記』絳侯周勃世家には次のようにある。
ここでは、弓を目一杯まで引き絞ることを「持满」と記している。弓を十分に引き絞り臨戦態勢にあることから、戦闘準備が整っている、さらには、準備が十分の意味へと派生していったのだ。
ところで、「持满」にはもう一つの意味がある。少し長くなるが、『荀子』宥坐篇の一文を紹介する。
孔子や子路のいう満ちた状態とは、成功して絶頂の状態にあることを指し、孔子はこれを維持するためには、控えめであれと説く。「持满」には「成功した状態を保つ」という意味があることが分かる。なお、「满」は「盈」と同義であり、「持盈」ともいう。
中国語では、「持满」は「成功した状態を保つ」の意味で使われることも多い。「持满戒盈(高位にあっても驕らぬよう自戒する)」、「持盈保泰(全盛の状態を保つ)」の成語とあわせて覚えておきたい。
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