第6回 元首たちの古典教養その4―鞠躬尽瘁,死而后已―|現代に生きる中国古典

1995年、陝西省と甘粛省は、大規模な干ばつにみまわれた。当時、国家主席であった江沢民は、被災地を慰問し、現地の幹部たちを次のように激励した。

まだ数多くの人びとが衣食に不自由しているだろう。そして、自然条件が悪いために、多くの地域が頻繁に災害をこうむっている。我々、各レベルの指導者、幹部はみな「寝不安席,食不甘味」、「鞠躬尽瘁,死而后已」という、奮起して貢献する精神を持たなければならない。そして、刻苦努力して誠実に心を尽くし、人民のために有益な方策を練らなければならない。

江沢民が引いた「寝不安席,食不甘味」と「鞠躬尽瘁,死而后已」は、共に諸葛亮の『後出師の表』に見える言葉である。『出師の表』は、諸葛亮が魏へと遠征する際に、主君である劉禅に奉った文章である。諸葛亮は、生涯に二度『出師の表』を奉るが、初めのものを『前出師の表』、二度目を『後出師の表』という(『後出師の表』は偽作説がある)。内容は、劉備への感謝、主君としてあるべき姿、出征への決意が記されており、涙なくしては読めない。なかでも、『前出師の表』は千古の名文として知られ、中国では現在でも中学生の暗唱課題の一つとして挙げられている。

「寝不安席,食不甘味」は、「横になっても布団の中で落ち着かず、食事を取っても味を感じない」という意味で、諸葛亮の心の重圧を喩えている。

「鞠躬尽瘁,死而后已」は、本来『後出師の表』では「鞠躬尽力」であるが、文天祥が「鞠躬尽瘁」として以来、こちらが一般的である。「深く謹み、全身全霊で事業にあたり、最後まで力を尽くし、死んでのちようやく終わる」という意味で、国家へ献身的に貢献することを指すほか、事業に対して献身的に取り組む意味でも使われる。

二つの言葉からは、諸葛亮の遠征にかける悲壮ともいえる決意が表れている。江沢民も、諸葛亮の精神を見習い、被災者の救援に全力を尽くすよう幹部を叱咤する意味で使っているのである。とりわけ「鞠躬尽瘁,死而后已」は、江沢民のほかにも、毛沢東、周恩来、習近平たち歴代の元首が引用しており、為政者としてあるべき心構えともいえるものだろう。

さて、「鞠躬尽瘁,死而后已」の意味が分かったところで、筆者に与えられたテーマである、現代のビジネスシーンでの実用例について考えなければならない。この言葉が使われるのは、何も為政者の心構えだけに限られたものではない。「献身的に全力で事業にあたる」意味で使うならば、ビジネスシーンでも利用可能である。江沢民のように、仕事に全力で打ち込むよう叱咤する際に使うのも一つだが、事業が終わった後に、協力してくれた人を讃える際に使ってみてはどうだろうか。中国はメンツを重んじる習慣があり、常に相手のメンツへの配慮がないといけない。事業が成功したあとの宴会などで、多くの人の前でその人の貢献、功績を数え上げ、まさに「鞠躬尽瘁,死而后已」であると讃えるならば、讃えられた側は大いにメンツが立つ。その効果は絶大であろう。

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西川芳樹関西大学非常勤講師

投稿者プロフィール

大阪府岸和田市出身。
関西大学文学研究科総合人文学専攻中国文学専修博士課程後期課程所定単位修得退学。
関西大学非常勤講師。
中国古典文学が専門。

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コメント

    • pza
    • 2015年 3月 14日

    「己」は「已」が正しいのでは?

      • 西川芳樹
      • 2015年 3月 17日

      ご質問ありがとうございます。

      ご指摘を受けて原稿を確認しましたが、
      すべて「已」の字になっています。
      ただ、一カ所「己已」となっている部分は、
      「己」が衍字なので削除しました。

      ワードにこの文をコピーペーストし、
      該当部分をSimSunのフォントを使い表示すると、
      私のパソコンでも「己」に見えました。
      あるいは、お使いになっているパソコン環境が原因で、
      「己」が表示されたのかもしれません。

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