第1回 元首たちの古典教養|現代に生きる中国古典

 中国では悠久の歴史の中で多くの書物が編まれ、その中から多くの古典が生まれてきた。中国語を学ぶものは、ほとんどの場合、現代中国語(口語)を学び、古典文(文語)は特別な関心を持たない限り、積極的に学ぶことはないように思われる。古典を知らなくとも、実際のコミュニケーションや生活に差し障ることは殆どないだろう。

 だが、中国では古典が教養として、あるいは、行動の規範として根付ている。中国でビジネスをする日本人にとって、『韓非子』や『貞観政要』が、中国人的思考を学ぶ必読の書となっていることはその例であろう。会話でも古典はしばしば用いられる。「ビジネス中国語」と銘打った書籍を見ると、古典の一節を引用しつつ中国人と交流する方法を説く記事が見える。だが、ビジネスの交渉や宴会に於けるコミュニケーションは企業の利益と直結するためか、具体的な利用法は公開される機会が少ないといえる。

 中国では政治家も古典をしばしば引用する。毛沢東、周恩来、江沢民、胡錦濤、温家宝、そして、現リーダーの習近平など、多くの指導者が演説で古典を引く。古典を現在の鑑とすることは勿論、自らの教養を誇示する意味もあるだろう。彼らの言葉はしばしば文集にまとめられて公開される。そこで、政治指導者が引用した古典から、現代中国語のコミュニケーションに応用できるものを紹介しよう。

 2006年10月、温家宝首相は、安倍首相の訪中を受け、日中関係について意見交換した際、安倍首相の対中関係への積極的な態度を賞賛し、「安倍総理のこの度の訪問は、両国関係を改善する希望の窓を開いた。青山遮不住、毕竟东流去」と述べた。「青山遮不住、毕竟东流去」とは、南宋の詩人の辛棄疾が詠んだ「菩薩蛮・書江西造口壁」詞に見える。以下は、その全文である。

郁孤台下清江水。中间多少行人泪。西北望长安,可怜无数山。
青山遮不住。毕竟东流去。江晚正愁余。山深闻鹧鸪。
郁孤台の下には清らかな河が流れている。道中、どれだけの旅人(※一説に、金から南宋に逃れた人びと)が涙したことだろうか。北西にある故郷長安の方を眺めても、折り重なる山々により遮られて見ることが叶わないために。山々は故郷への眺めを遮ることができても、河の流れを遮ることはできない。夕暮れの河は私を寂しい気持ちにさせる。山に響く鷓鴣(※キジ科の鳥。ウズラに似る)の鳴き声が寂しさをかき立てる。

 「青山遮不住、毕竟东流去」とは、山に喩えられるような障碍があろうと、山を縫って流れる河の水ように遮ることができないという意味で使われている。温家宝首相も、日中友好はいかなる障碍があっても遮ることができないとの意味で用いたと思われる。

 この言葉は、政治的場面のみに限らず利用できるであろう。ビジネスシーンに於いて、日中両国は政治的には問題があるが、経済的な繋がりを止めることはできない、と喩えるもよし、恋する男女ではあれば、二人の間にいかなる障碍があろうとも二人の愛を止めることはできない、と言うもよし、応用範囲の広い言葉であろう。

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西川芳樹関西大学非常勤講師

投稿者プロフィール

大阪府岸和田市出身。
関西大学文学研究科総合人文学専攻中国文学専修博士課程後期課程所定単位修得退学。
関西大学非常勤講師。
中国古典文学が専門。

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