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第31回 日本語の中の中国語その14――目に一丁なし(1)
- 2017/7/6
- 現代に生きる中国古典, 西川芳樹
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「目に一丁字なし」は、「全く文字が読めない。無学である。」(『日本国語大辞典』)という意味です。この言葉の由来については『大漢和辞典』に詳しい説明があるので、まずはこれを紹介します。『大漢和辞典』の「不識一丁字」項目には、はじめに「まるきり文字をしらぬこと」と語釈があり、つづいて「丁は、个の字の篆書から誤つたもの」と「丁」の字が使われた経緯が記され、最後にその根拠となる文献をいくつか引いています。この文献の中から『正字通』の引用を見てみましょう。
つまり、本来は「不識一个字(文字を一つも知らない)」という言葉であったのが、書き間違いによって「不識一丁字」になったというのです。『大漢和辞典』の説明はこの『正字通』に依拠したものでしょう。確認したところ、『旧唐書』に「今天下無事汝輩挽得兩石力弓不如識一丁字」とあるのが、『続世説』では「今天下太平汝曹能挽兩石弓不若識一个字」となっています。ただ、その他の字句が完全に一致している訳ではないので、写し間違えたとまでは言いにくいとも思います。また、『続世説』以外にも清代の『連城璧』、『二十年目睹之怪現状』で「不識一个字」が使われているので「不識一个字」が「不識一丁字」に取って代わられたのではなく、両者は併存していたようです。『連城璧』、『二十年目睹之怪現状』は白話で書かれた作品なので、口語では「不識一个字」がずっと使われていたのかもしれません。
『大漢和辞典』はこの外に『野客叢談』も引いています。こちらでは、「个」の書き間違いとする説を紹介した後で、本の著者による別の見方が示されています。
つまり、「所識不過十字」こそが「不識一丁字」の由来だというのです。ここで、『増修埤雅広要』を見ると次のような箇所がありました。
これは成語を紹介したもので、初めの四文字が成語、右に続く文はその用例です。これを見る限り、『増修埤雅広要』の著者は「識一丁字」と「止識十字」が別の言葉と認識していたようです。もしならば、「止識十字」は由来と言えないでしょう。もちろん「止識十字」から「識一丁字」が生まれ、後に両者が個別の言葉と認識されていた可能性も考えられるので、完全に両者が別の言葉と断言はできません。
このように「丁」の由来には「个」の書き間違えとする説、「所識不過十字」から来たとする説の二説があることになります。現段階では、どちらが正しい由来なのか、はたまた別の理由があるのか、まだはっきりしません。それにしても、「丁」たった一字の由来を巡って数百年にわたり多くの考証を重ねて議論し続けるとは、中国人の文字に対するこだわりがここに表れているように思います。
今回は込み入った説明ばかりになったので、言葉の由来ではないのですが、「不識一丁字」と関わるエピソードをここで紹介したいと思います。
清代の『通俗編』という本は、様々な俗語の由来が考証したものです。この本に「不識一丁」項目があり、上で見た二説の外に、『留青日札』に記された次のエピソードを紹介しています。
「丁」の字についての強引な説明を聞いて喜ぶ符堅の無知ぶりが描かれています。もっとも符堅は、幼い頃、学問がしたいから師をつけてくれと祖父に頼んだような人物ですから、「不識一丁字」ではなかったでしょう。これは符堅が北方異民族出身であることから、文字を知るまいと考えた漢人の思い込みから生まれたのかもしれません。
ところで、「目に一丁字なし」はいつ頃から日本で使われ出したのでしょうか。『日本国語大辞典』には、室町時代初頭に成立した『空華集』に「老盧不識一丁字…」とあることが記されています。「不識一丁字」は、中国では宋代になり盛んに用いられるようになったようで、先ほど引いた『旧唐書』のほかに『資治通鑑』などでも使われています。「不識一丁字」はこのような宋の文献と共に日本に入ってきたのでしょう。
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