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第20回 元首たちの古典教養その11――花径不曾缘客扫,蓬门今始为君开――|現代に生きる中国古典
- 2016/5/11
- 現代に生きる中国古典, 西川芳樹
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ここ数年、中国人に対するビザ発給要件が緩和されるにつれ、中国人旅行者の数が急激に増えています。筆者は、自宅が空港の近くにあるので、毎日電車に乗るたびに、空港から各地へ向かう中国人旅行者の姿を目にし、街を歩いていても、至るところで中国語を耳にするようになりました。来日する中国人が増えれば、中国語を学ぶ人のなかには、中国人のお客さんを迎えることがあるかもしれません。そんな時にこんな一言はいかがでしょうか。
温家宝前首相は、2006年9月、ヨーロッパ訪問を前にして、各国メディアの合同インタビューを受け、その冒頭で次のように述べました。
この「花径不曾缘客扫,蓬门今始为君开」は杜甫の「至客」詩に由来する言葉です。
この詩は、杜甫が成都の草堂に住んでいたときの作とされています。「花径不曾缘客扫,蓬门今始为君开。」は、それまでは、来客をあまり喜ばなかったので、家の小径に花が散り落ちていても、お客があるために掃除をしたことはなかったが、待ち望んでいた君がやって来たので、めずらしく門を開いた、という意味です。杜甫の、心から歓迎している様子が見て取れます。
江沢民元国家主席がフランスを訪問すると、当時のジャック・シラク大統領は、ふるさとの私邸に江沢民夫妻を招いて宴を開きました。席上、シラクは「花径不曾缘客扫,蓬门今始为君开」を引いて江沢民夫妻を歓迎し、江沢民は自ら筆を振るい、一時間もかけて辛棄疾の詞を書いてこれにこたえたそうです。
海外で自国語を使って歓迎されると、それがカタコトの言葉でも思わず、緊張がほぐれ、嬉しくなってしまいます。江沢民の感動も想像に難くありません。日本に来た中国人にもこの言葉を使って歓迎してみてはいかがでしょうか。
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