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第12回 元首たちの古典教養その7―言者无罪,闻者足戒―|現代に生きる中国古典
- 2015/9/14
- 現代に生きる中国古典, 西川芳樹
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1944年、毛沢東は、『一九四五年的任务』という十五条からなる文章を発表しました。その十四条では、国民党との差別化を図るため、共産党の指導者たちに次のようなことを呼びかけています。
毛沢東は、古典から引用した二条の要訣を示しつつ、指導者に上意下達だけの封建的姿勢を改め、民衆や部下と対話をして、広く意見を聞くように求めています。
さて、引用した二つの言葉のうち、「知无不言,言无不尽」は、唐宋八家の一人である蘇洵の「論衡上・遠慮」に由来します。この文は、主君が家臣といかにしてつきあうかを説いています。
一方、「言者无罪,闻者足戒」は、『詩経』の「詩序」に見える言葉です。
毛沢東は、「言者无罪(言った者は罪とされない)」が第一と言っています。現代風に言えば、相手に注意をされても怒らないといったところでしょうが、自分の欠点を突かれ、それを受け入れて戒め改めることはなかなか勇気が必要です。「知无不言,言无不尽」と、包み隠さず話すのも、体面や損得勘定が働き簡単ではありません。このような言葉が残る以上、昔の人々も実際には、言葉通りといかなかったのでしょう。
毛沢東が指導者たちに求めたように、二つの典故と毛沢東の言葉はいずれも、為政者たちの上下関係をいっています。しかし、これらの言葉を政治的場面に限定して使うのはもったいない。他人の言葉を受け止め、胸襟を開いて語る、これらの言葉は、あらゆる人間関係を深める秘訣といえるでしょう。
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