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第5回 日本語の中の中国古典その2― 紅一点 ―|現代に生きる中国古典
- 2015/2/14
- 現代に生きる中国古典, 西川芳樹
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先日、近所の郵便局へ手紙を出しに行った。郵便局には郵便と預金の窓口があり、それぞれに担当職員が座っている。そして、窓口の隣に20センチ四方のホワイトボードがあり、そこに、ポップな文字で担当職員の名前とコメントが書いてあった。コメントは、「いつも元気に笑顔で対応します」などであった。
この局員のコメントの一つに「本郵便局の黒一点 局長○○」と書いたボードがあった。「黒一点」が、「紅一点」をもじった造語であることはすぐに推測できよう。「紅一点」とは、『明鏡』国語辞典によると、①「多くの平凡なもののなかに一つだけすぐれたものが存在すること。また、そのもの。」②「多くの男性の中に一人だけ女性がいること。また、その女性」という意味である。「黒一点」は、②の意味を応用し、「唯一の男性職員」という意味を持たせているのであろう。実際に、郵便局の男性職員はその職員一人であった。
さて、「紅一点」という言葉は、「詠石榴詩」に由来するといわれる。この詩は王安石の作とする辞書もあるが、この説には懐疑的な意見が多い。以下、「詠石榴詩」を紹介しよう。なお、この詩は、引用した二句のみが伝わり、前後の部分は不明である。
万绿丛中红一点,动人春色不须多。
(一面の緑なす草むらに一つだけ赤いザクロの花が咲いている。人を感動させる春の景色は多ければよいというわけではない。)
草むらの中に咲くザクロの花。一面の緑の中に、一輪だけ咲く鮮烈なザクロの赤がひときわ目を引く。緑と赤という色の対比の鮮やかさ、そして、この風景を眼前にした詠み人の感動は、千年以上の時を隔てた我々にも容易に想像できよう。
新緑と花の赤との対比がおりなす春の景色は、中国文学の世界では一つの典型となっている表現でもある。そして、緑と赤の対比は、現代中国語にもしばしば取り入れられる。例えば、「砌红推绿(春の花や木が繁る風景)」、「绿肥红瘦(緑の葉は大きく青々とし、赤い花は小さくても美しい」、「愁红怨绿(風雨により無残に損なわれた花と葉)」、「穿红着绿(派手な衣裳を着る)」、「呼红喝绿(多くの人があれやこれやと騒ぐ)」などであり、この他にもたくさんの成語がある。「○红×绿」、「○绿×红」などの「绿」と「红」を含む成語は、ことばの働きに法則がある。一つは「春の花と木」を成語の意味に含む。前の3語がその例である。後ろの2語では、鮮やかな花の赤と木々の緑から転じて「複数の色が入り交じる」という意味が成語に含まれる。四字熟語には、「七○八×」、「东○西×」、「○红×绿」といった固定のフレーズがあり、各フレーズには特定の働きがある。成語を憶える際には、丸暗記もいいが、これらフレーズの持つ働きを知っていると、成語の暗記を助けてくれて効率よく憶えられる。
さて、緑と赤(红)の対比について見てきたが、ここから考えれば紅に対応する言葉は緑であるといえよう。ならば、「紅一点」に対する言葉は、「緑一点」であり、先程の郵便局員も「緑一点」にするべきだ、というのは、いらぬお節介であろう。なにより、日本語で緑というと、新人のようであり、「唯一の男性職員」の意味にはならないであろう。そう思うと、筆者が瞬時に「唯一の男性職員」を想起した「黒一点」もあなどれない。
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