世界の言語を「孤立語」「屈折語」「膠着語」という3種類に分けることがあります。「孤立語」の代表は中国語で、「屈折語」の典型はラテン語、「膠着語」は日本語や朝鮮語などです。
「孤立語」とは、一つ一つの語が独立していて、ある「概念」を表すもので、それぞれの語の間の「関係」を示す語がないものです。
次の例を見てください。
私は彼をなぐる。
我打他。
I strike him.
日本語では主格の「は」と目的格の「を」が使われていて、これによって「私」と「彼」と「なぐる」の関係を表しています。英語では、“he”の目的格である“him”が使われていて、関係が明らかになっています。ところが中国語ではそのような「関係を示す語」は一切使われていません。これが「孤立語」の特徴です。関係を決定付けるのは「語順」です。つまり「孤立語」では「語順が重要」ということになるのです。日本語なら「彼を私はなぐる」のように「私」と「彼」の語順を変えても意味は変わりませんが、中国語では“他打我”としたら、主語と目的語が逆転して「彼が私をなぐる」になってしまいます。
ただ、例えば“鸡吃了”のような文は厄介です。これは2つの解釈が可能だからです。一つは「鶏が(何かを)食べた」、もう一つは「鶏が(何かに)食べられた」です。つまり、中国語では主語と目的語の関係は「密」ではないのです。このことについて、ある人は「中国語は漫画的な言語」だと言っています。 最初の場面に「鶏」が、次に「食べる」動作の場面が登場します。食べる場面に「猫」がいれば「猫が鶏を食べている」ことですし、「鶏の餌」があれば、「鶏が餌を食べている」ということになります。「漫画的」とは、まさに「言い得て妙」ではありませんか。