古代中国人の思考方法に「陰陽」という考え方があります。この世のあらゆるものを「陰」と「陽」という2つの相対立するものに分ける考え方です。例えば、「男と女」「太陽と月」という具合です。面白いのは、物事を単に対立する2つに分類するだけでなく、中国人は、さらにその対立するものが合してひとつになるという考え方をするところです。これがいわゆる「太極」です。「一が分かれて二となり」また「二が合して一になる」というわけです。弁証法でいうところの「対立物の統一」です。
冬の中国の食べ物で人気のある「鍋料理(“火锅”)」にも、“太极”というものがあります。ひとつの鍋を、太極図みたいな形で「激辛」の部分とそうでない部分の2つに分けてあります。
ところで、この「太極」は言葉にも表れています。中国語(特に古代中国語)に「反訓」という現象があります。「反訓」とは、「一つの語に、相反する意味が含まれている」というものです。例えば、“乱”は「乱れる」という意味ですが、実はもう一つ、「治まる」という意味も含まれます。“离”は“离婚”とか“离开”というように「離れる」という意味ですが、“鱼离于罗”の場合は「魚が網にかかる」という意味になります。
現代中国語でも、“借”には「貸す」と「借りる」の両方の意味があります。また、“叫”や“让”は「受け身」にも「使役」にも使われています。“我让他打了”は「私は彼に殴らせた」でも、「私は彼に殴られた」にもなるのです。このような現象も、中国語の大きな特徴ということができるでしょう。