第37回 日本語の中の中国語その17――ほぞをかむ

 「臍を噬む」は「後悔する。取り返しのつかないことを悔やむ」(『広辞苑』第七版)という意味で、後になってからあの時やっていればと悔いることを表します。もっとも最近では、後になってふり返るのではなく、ただ、ひどく悔しい思いをした時にも使う人もいるようです。
 この言葉は『春秋左氏伝』荘公六年の記述に由来しています。かつて、楚の文王は申の征伐にむかう道中で、鄧の国に立ち寄りました。文王の母は鄧侯と兄弟だったので、鄧侯は甥が来たと文王を引き止めてもてなしました。すると鄧侯に仕える三人の者が、この機会に文王を暗殺するよう鄧侯に迫ります。鄧侯がこれを拒むと、三人は鄧侯を説いて次の様に言いました。

亡邓国者,必此人也。若不早图,后君噬齐,其及图之乎。图之,此为时矣。
(将来)鄧の国を滅ぼすのは、この人(文王)に違いありません。もし今のうちに手を打っておかなければ、後になってご主君は「噬齐」することになりますぞ。手を下しましょうぞ。手を下すのならば、今この時です。

 しかし鄧侯は、甥を手にかければ、人々からさげすまれるだろうと言って聞き入れません。三人はさらに説得を試みますが、鄧侯はついにこの意見を聞き入れることはありませんでした。申の征伐を終えて帰還した年に、文王は鄧を攻撃し、荘公十六年には再び攻撃を加えて鄧を滅ぼしました。三人の言葉通りになったのです。
 この文に出てきた「噬齐」とはどういう意味でしょうか。晋の武将として活躍した杜預(「どよ」と読みます)は、呉を滅ぼして三国時代に終止符を打ったことで知られています。一方で、みずからを「左伝癖」と言うほど『春秋左氏伝』を好み、注釈書『春秋経伝集解』を編みました。杜預は「噬齐」について「若齧腹齐,喻不可及(自分でお腹のへそを噛もうとしても口がとどかないように、及ばないたとえである)」と注を付けています。なお、「齐」は「臍」と音通で、同じ意味です。この注から、鄧侯に仕える三人が言った「噬齐」とは、後になってからでは及ばない、つまり、「後々ご主君は機を失したことを悔やむでしょうが、いくら後悔しても及びませんぞ」と諫言したのでしょう。
 それにしても、臍に口がとどかないという物理的に及ばないことと、後悔しても及ばないことを結びつけるとは、昔の人のダジャレでしょうか。
 ところで、罵り言葉に「へそ噛んで死ね」があります。この言葉は「眼噛んで死ね(関西では「眼え」と発音します)」や「ケツ噛んで死ね」、「豆腐の角に頭ぶつけて死ね」、「うどんで首吊って死ね」などの類語があることから(どれもすごい言葉ですね)、「へそ噛んで」はおそらく「実現不可能なことをしてから」ということで、「後悔してから」という意味はなく、「臍を噛む」とも関係はないでしょう。ただ、へそは噛もうとしてもとどかないという発想は日中両国で同じで、興味深いですね。

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西川芳樹関西大学非常勤講師

投稿者プロフィール

大阪府岸和田市出身。
関西大学文学研究科総合人文学専攻中国文学専修博士課程後期課程所定単位修得退学。
関西大学非常勤講師。
中国古典文学が専門。

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