「百年河清を待つ」といわれます。百年のスパンで物事を考える中国人の思考方法を表現したものです。そういう一面は確かにあります。
例えば、解放後の中国は発音表記にローマ字(ピンイン)を採用しています。これは単に発音表記だけの問題ではなく、「将来的には漢字を廃止して、世界で広く使われている表音化を目指す」という毛沢東の指示に基づいた文字改革の最終目標でもあるのです。そしてその方針は、現在まで変更されていません。だからといって、今も、そして将来的にも、中国で漢字が廃止されるとは考えられません。その点を中国の専門家に尋ねても「そのうちね」という答えしか返ってこないでしょう。「百年後はわからない」ということなのです。
ただ、だからといって中国人は本当に「気が長い」かといえば、そうでもありません。結構「短気」だというのが、私の印象です。中国に行けば毎日「ケンカ」を見ない日はありません。人口が多いからという理由だけではないようです。ちょっとしたことで「ケンカ」が始まるのです。その原因は本当に些細(ささい)なことが多いようです。面白いのは、当事者だけでなく、周りの人もそのケンカに加わるのです。そのうち、周りの人同士でケンカが始まったりします。しかも、自転車と歩行者がぶつかったりした場合はその自転車を、車同士がぶつかったらその車を車道に放ったまま、ケンカになるのです。だから、たちまち渋滞になります。夫婦げんかでも、隣近所の人に聞こえるくらいの大きな声でやりあいます。夜中でもお構いなしです。これは、お互いの言い分を周りの人に聞いてもらい、周りの人にその「判定」を下してもらうためなのです。中国語ではこれを“讲理”といいます。人に文句を言いに行くことを“讲理去”といいます。