中国語はよく「総合的」な言語だといわれます。次の単語を見てください。
“矮”=short in stature
“晚”=the time is late
“味”=taste / flavor
中国語では“矮”といえば、単に「低い」ということだけでなく「背が低い」という意味になります。同じように“晚”といえば、「時間が遅い」ことです。「スピードが遅い」ということにはなりません。
英語では「背が」低い、「時間が」遅いと、補足の単語が必要ですが、中国語ではそれを言わなくてもすむのです。
中国語の“味”には「味」と「匂い」の両方が含まれます。“臭”にしても、現代語では「臭い」という「マイナス評価」に傾いていますが、本来は「すべての匂い」を表すものでした。これが中国語は「総合的」ということなのです。
ただし、物事はいろいろな角度からとらえることができます。例えば、縄で縛られた男とその縄を持っている男がいるとします。普通は縛られているほうが、「泥棒」で、縄を持っているのが「警官」でしょう。でも、見方を変えれば、「泥棒」が「警官」を縄で縛っているということも考えられるのです。これは極端な例です。でも、物事には、ひとつの角度から見ていただけではその本質をつかめないということが、よくあるのです。
中国語は「総合的」な言語で、欧米語は「分析的」な言語だといわれますが、総合的や分析的というのは、ある面をとらえた言い方であり、実はどちらも本質をとらえているといっていいでしょう。
上の例もそうですが、「切る」や「持つ」という動詞も、「何で切るか」、「持ち方」によって使い分けられます。“割”は“cut with an edged tool”(鋭利な刃物で切る)ということですし、“砍”ならば「斧で切る」ことです。このように、「動詞が具体的な道具や動作によって使い分けられる」ということは、「総合的」であると同時に「分析的」でもあるのです。